人間誰しもマイノリティであるという話
いわゆるマイノリティについての議論は尽きることがありません。
性的指向や性自認、人種国籍、ワークスタイル、様々あって、理解するしないというのがあちこちで話し合われています。
ただ、なかなか寛容な社会にはならないのが現状です。
なぜかといえば、自分がマジョリティであるという意識が常にあるからではないでしょうか?
誰しも自分が普通だと思いますよね。
でも、誰だってマイノリティじゃないかと感じるのです。
そして、それを自覚することで差別というものはだいぶ減るんじゃないかと思うのです。
ロックミュージックが好きな人はマイノリティ?
自分はロックミュージックが大好きです。
このロックという音楽ジャンルですが、もともとは黒人の演奏するリズムアンドブルースという音楽が元になっています。
それをラジオDJのアラン・フリードという人がロックンロールと呼称し、広く支持されるようになりました。
あえて黒人の演奏する音楽をロックンロールと呼称した理由として、リスナーの親が「リズムアンドブルースは黒人音楽だから聞いたらあかん」と言うからこのような名前で呼びラジオで流した、という説もあります。
そこから大衆化していき、現在では非常に大きなジャンルとなっていますよね。
また、PMRCに関する問題もあります。
PMRCとはParents Music Resource Center(ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)の略称である。過激な性的表現や暴力的表現、ドラッグの使用やアルコールの摂取を賛美するような表現がされていると見なした音楽作品にペアレンタル・アドバイザリーのステッカーを貼るように義務付け、子供達がそういった音楽に接触しないようにペアレンタルコントロールを高めさせる目的で1985年にティッパー・ゴアら「ワシントンの妻達」が中心となり、設立した委員会である[1]。
簡単にいうと、子供に聞かせたくない音楽には不健全だよというハンコを押しましょうという運動ですね。
もちろんここでの検閲の対象となった音楽はロックミュージック以外にも様々ありますが、けしからん音楽ジャンル、と考えられられることは多かったようです。
つまり、時代によってはロックミュージック好きはマイノリティであったかもしれないということですね。
アニメ好きはマイノリティ?
これは日本では分かりやすい話かもしれません。
「オタク」という言葉それ自体が蔑称として生まれたわけで、それが宮崎勤の起こした事件によって世間的に認知されました。
アニメやゲーム、マンガが好きな人間は現実に適応できないとか、性的に倒錯するといった意見も出てきました。
今でも表現規制における問題で槍玉に上がることが多いですよね。
今ではオタクというもののイメージは変わりつつありますが、好きなものを好きというだけで犯罪者予備軍と考えられるような時代もあったわけです。
誰しも結局マイノリティじゃないだろうか
二つの例を挙げたのは、どちらも自分が好きだからです。
この二つに関心がなくとも、人間は皆マイノリティじゃないでしょうか?
例えば、主夫として子育てをはじめました、という方。
男の癖に働かないのか、といった難癖つけられたことあると思います。
子供を産んだ後も仕事を続けた方。
子供がかわいそうとか、母親は子育てしてなんぼだとか、昭和という名の言葉の暴力を受けたことあると思います。
お酒が弱いけど職場の飲み会に参加しないといけない方。
飲まないと飲めるようにならないよ、とか強要されたことあると思います。
歌が苦手で合唱祭が嫌いな方。
団結乱すから練習しろとか、同調圧力にストレス感じたことあると思います。
みんな何かでマジョリティで、みんな何かでマイノリティです。
それなのに、自分がマジョリティな時にマイノリティに攻撃をしている。
それは自分がマイノリティだった時に攻撃されたから、同じようにしてしまうのかもしれません。
自分が傷ついたのに、他者が傷つかないことに腹がたつかもしれません。
だとしても、マイノリティとして傷ついたことを思い出すようにしてほしい。
あなたを誰も完全に理解できないように、あなたが誰かを完全に理解することはできません。
でも、自分がわからないことだから、好きになれないからといって傷つけることをしないことは、誰かがあなたを傷つけないことに繋がると思います。
いつでも誰もがマイノリティになると考えれば、振り上げている拳も下げることができると思います。
この意識で、みんながみんなを受け入れる、寛容な社会ができるといいですね。
誰もがこの問題の当事者です。