意識高くないゆとり

平成初期型ゆとり世代の意識が高くないブログです。

昔の自分から手紙をもらった話

成長というお題をみて自分の成長についてかんがえてみたところ、そういえば今年で30になったなと気づきました。10歳のとき、通っていた小学校で1/2成人式というものをやりましたが今年は一人で3/2成人式をやってみようと思います。

そんな自分が成人したころ、小学生のときに担任だった先生からお手紙が届きました。封を開けてみると汚い字で書かれた拙い短い手紙が出てきました。

開ける前は一体どんな手紙なのか全く分からなかったのですが、これ、10歳のころの自分が書いた20歳の自分への手紙だったんですね。当時の担任の先生が成人する年に合わせて生徒に送ってくれたものでした。

 

1/2成人式という行事でどんなことをしたのかほとんど覚えていないのですが、この手紙を見た瞬間に未来の自分に対して手紙を書く、というイベントがあったことだけは思い出しました。

鼻垂れ小僧だった当時、未来というものが想像出来ず先生に何度も没を食らったため消しゴムの跡で黒ずんでいる便箋で、これまた汚い字で書かれた文章が以下のものです。

 

やぁ。

元気にしているか?

もうラーメン屋を開いているか?

まだならどの店で修行している?

 

これだけでした。

文頭の小生意気な挨拶から小学生的傲慢さを感じさせます。

そして将来はラーメン屋一択。他の選択肢なんてあり得ないこのスタンス。

手紙を受け取ったときは大学生でしたが、手紙を書いたときには大学という勉強するための場所に自分が行くとは思ってもいなかったようでした。

 

手紙を書いた頃からラーメンがやたらと好きになり、父にもらった古いPCでラーメンデータベースを作ろうとしたり(厨房が見えて楽しいとか、ほうれん草が乗っていて健康的とか書いてた)、カップヌードルの歴史を自由研究のテーマにしたりしていました。

手紙を書いたのはおそらく一番ラーメンに燃えていた頃のようです。

 

さて、そんな若かった自分も今やラーメンは健康のために減り月に1〜2杯しか食べなくなりました。ほうれん草一つでどうにかなるものでもありませんでした。

 

10歳の時には想像もしなかった大学に行き、そして今は大学に行きたいという人を支援する仕事をしています。20歳の時には一生独身で楽しむんやと思っていましたが結婚もしました。

 

希望に添えずにごめんなという気持ちも少しありますが、自分が想像してなかった自分になっているということは自分の世界が広がった証拠であり、自分の成長なんじゃないかなと感じます。

また、40歳の自分に手紙を書くとしてもっと丁寧な言葉遣いで書くかと思います。これも成長です。

 

今週のお題「〇〇の成長」