【感想】教育という病 ~子どもと先生を苦しめる「教育リスク」【「善なるもの」の暴力性を知る一冊】
組体操、1/2成人式、柔道の授業、部活動。
程度の差はあれど、みんな当たり前に経験をしているものがあると思います。
例えば組体操、みんなで力を合わせて頑張った記憶がある人も多いのでは?
ただ、大きなけがを引き起こすリスクがあります。
組体操にはけががつきもの、仕方ないんじゃない?
そう考えた人には絶対に読んでほしい一冊となっています。
リスクというものがはっきり存在するにも関わらず、様々な要因によってリスクを直視できなくなるというのは、教育の現場だけでなく様々な状況において起こり得ることであり、教育関係者や保護者の方以外にも学びのある本です。
どうして人はリスクを軽視してしまうのか、そのメカニズムについても言及があり、非常にわかりやすいものとなっています。
特に印象に残った部分を紹介します。
「感動」の眩さがリスクを覆い隠す
組体操であれば、子供達が痛みをこらえて巨大なタワーやピラミッドを組み上げます。
その姿に感動を感じる、というのが組体操の魅力だそうです。
この大いなる感動の影に重大な事故のリスクがあります。
実際に以下の動画を見てみればその危険性を感じてもらえると思います。
ただ、このような危険性のある組体操は負傷者を出しながらなかなかなくなることはありません。
それは、
組体操は子どもが「感動」や「一体感」「達成感」を得ることができるからである。組体操の教育的意義とは、それらの感覚を味わうことにある。
という理由だからだそうです。
この「感動」というものが力を発揮しリスクを見えなくするというのは、組体操以外にも様々な場面でみることができますよね。
書籍中では「1/2成人式」も例に挙げられています。
虐待されているような子どもが強制的に「親への感謝」を伝えさせられるという暴力性。
どちらにしても、「感動」とか「教育的意義」とか善なるものがあるためにリスクが軽視されます。
炎天下の中競技に取り組ませる高校野球もそうですし、けがで苦しみながらもタスキを繋ごうとする駅伝もそうかもしれません。
「感動」の持つエネルギーの強さが、そこにあるネガティブな側面を覆い隠してしまいます。
「善なるもの」に圧迫されるのって、あちこちであるよね?
さて、このように「善なるもの」だからやって当然みたいな、正しさが圧迫してくるのってあちこちでありますよね。
私は学習塾の運営に携わっていますが、前の会社においては大量の残業などが求められました。
「子供の未来のため」という美名の下、もっともっと働くようにと言われることがありました。
「帰るなんて生徒を思っていないからだ」といった風潮ですね。
知り合いの看護師の方も残業ばかりで辛いとのこと。
「命のため」という美名の下、なかなか帰ることができないそうです。
組体操は感動的だから怪我も仕方ない、と主張する人と根っこは同じだと感じます。
まとめ
この本では、「教育リスク」というものがありながらそれがなぜ軽視されてしまうのか、いくつかの事例を用いて示しています。
その事例の中で、改善されたものとして紹介されているのが「柔道」での事故。
死亡事故が毎年のように起きていた状況が問題視され、そこから改革が始まり死亡事故が減少した例も挙げられています。
リスクがあることを知る、どのようなリスクか知る、そういったことで状況が変わることがあります。
だからこそ、「組体操は素晴らしいものだ」とか「1/2成人式は感動的だ」と感じている人にこそ読んでほしい一冊です。
ちなみに、この本の存在を知るきっかけになったのが以下の本となっていますので併せてどうぞ。