【ポーランドの歴史】映画「カティンの森」を知ってほしい【戦争犯罪】
ポーランドを代表する映画監督に、アンジェイ・ワイダという人がいます。
日本ではあまり馴染みのない監督ですが、日本の芸術を愛した親日家だそうです。
そんなポーランド人、ワイダ監督ですが自身のルーツであるポーランドの歴史を描いた作品を多く発表しており、今回紹介するカティンの森も同様です。
時代背景について
ドイツとソ連の間に位置するポーランドですが、第二次世界大戦の始まりの場所となります。
1939年にナチスドイツがポーランドに侵攻、これに対しイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まります。
それと同時にソ連もポーランドに侵攻し、結果的にドイツとソ連にポーランドは分割されました。
そこで発生したポーランド軍の捕虜ですが、ソ連に降伏した捕虜は強制収容所に送られ、およそ2万2千人の捕虜がソ連によって殺害されました。
これがカティンの森事件です。
映画は、ソ連の捕虜となり収容所に送られた主人公と帰宅を待つ家族の物語となっています。
発覚までの流れ
このカティンの森事件が明るみになるには多くの時間がかかりました。
そして、今でもしっかりと究明されたとは言えません。
その理由として、
①発覚当時、ナチスドイツがこれを政治利用と目論んだ
ナチスドイツがこの事件を対ソ宣伝として扱おうとしましたが、ナチスドイツによるプロバガンダであると捉えられることがありました。
②連合国側が事件の究明を避けた
ファシズムとの戦いという形式に落とし込むにあたり、ソ連による戦争犯罪は公にしないように第二次大戦中はされました。
③ソ連はドイツによる行為と主張した
これは戦後長くソ連が主張したことで、力ある大国の主張を覆すことがなかなかできませんでした。
結局、ソ連が事件を起こしたことを認めたのは1990年、事件から50年以上経てからでした。
そこからようやく事件の全体像が見えるようになったと言えます。
待つ苦しみ
ようやく映画についての話になります。
ソ連の捕虜とされた主人公と、その帰りを待つ家族、その二つの視点から物語は進みます。
ソ連の捕虜といっても、生きて帰った人もいました。
ただ、当時世界がひた隠しにした事件であり、待つ家族は死亡したという情報すら得ることができません。
諦めようと思ったら、知っている人が帰ってくる。
生きているかもしれない、それは希望かもしれませんが、同時に大きな苦しみとなります。
そのような苦しみの中で日常を過ごしていかなければならない。
この苦しみは、戦後多くの国に見られたものかもしれません。
まとめ
全く明るい物語ではなく、戦争が終わっても振り回され続ける人々の日常であり、見ていて苦しい気持ちになります。
そしてラストシーン、背筋が寒くなります。
人が行うことの恐ろしさを痛感させられます。
ソ連の戦争犯罪について描く物語は、例えばナチスドイツの戦争犯罪について描くものに比べ多くありません。
大国に翻弄され続けたポーランドならではの物語となっています。
ぜひご覧ください。
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