同性カップルの「里親」についての議論を読んでみた
同性カップルが里親になることについて、東京都が認定基準を改正するというニュースになりました。
これに対して好意的な声も多くありますが、
こんな声も中にはあるそう。
この記事を簡単にまとめると、
- 同性カップルの子供は情緒、発達面で問題を抱えやすい
- 里親制度ができると、同性カップルの特別養子縁組や同性婚につながる
- 結婚、家族制度は「子供の福祉」と「社会の持続可能性」を支えるため、同性婚とか絶対ダメ
ということらしいです。
まず、同性カップルに育てられると子供に悪影響である、といった言説は多くネットに流布しています。
上記記事にも情緒、発達面で問題を抱えやすいということが挙げられています。
ただ、おそらくこれは否定されるものかと。
ここであげられる論文を当たれていませんが、以下の動画はこれを考えるきっかけになると思います。
一つの例を挙げて全てを論じることはできませんが、どのような形態であろうと健やかに育つこともそうでないこともあるだけだと思います。
さて、注目したいのは結婚、家族制度は「子供の福祉」と「社会の持続可能性」のためにあるという意見です。
この「子供の福祉」というものが結婚、家族制度の目的の一つという側面はあるかもしれませんが、子供の養育を同性カップルが行うことが悪影響というのは恐らく否定されます。
では「社会の持続可能性」というものに同性カップルは悪影響を与えるのでしょうか?
おそらくは、少子化の一因になるといった考えからあげられたものでしょうが、同性愛者の方が国から言われたから異性愛者になるということはありえないのでは、と思います。
伝統的な社会、家族制度を復権したいのであればまず男女共同参画社会基本法から撤廃しないといけないですよね。
誰かが抑圧される伝統に何の意味があるのか自分には理解できないですが。
また、一つの例として、アフリカにおける「女性婚」というものがあります。
同性カップルとは結びつく動機や状況が異なるものですが、このように同性同士が結婚することは近年に限らずあったということですね。
この女性婚の目的の一つが不妊の女性を社会的に保護する、というものです。
女性の社会的役割を出産と単純に規定しているところはどうかと思いますが、ただ「社会の持続可能性」に寄与するための制度という側面もあるわけです。
つまり、同性カップルは「社会の持続可能性」に反するものではないと考えられます。
ここまで述べてきましたが、そもそも結婚・家族制度は社会のためである、という考え方自体が古いのではないかと思います。
先にあげたザック・ウォルス氏のスピーチにはこうあります。
家族の価値は政府から結婚を認められ祝福されることで強くなるわけではありません
家族だという気持ちは辛いときをともに乗り越え
楽しいときをともに喜ぶために
お互いに関わりあうという意思から生まれるものです
家族だという気持ちはお互いを結びつける愛の気持ちから生まれてくるものです
非常に単純な結論ですが、家族というものは気持ちによって形成されるのではないでしょうか。
血縁での結びつきも強いものだと思います、ただ人の結びつきはそれだけではありません。
結婚は、他人同士が気持ちで結びつくものですよね。
その気持ちに寄り添うために制度がある、という形が望ましく思います。
同性婚については制度的欠陥がある、フリーライダーが生まれるといった懸念から反対される方いますが、制度上の問題から同性婚自体を否定することは問題を混同しています。
制度に不備があるなら、その制度自体について話すべきで、同性婚を認めるか否かという前提まで立戻るものではありません。
もちろんその前提についての議論はあると思いますが、前提としての反対を制度自体の不備で誤魔化すような議論が多く感じます。
一人一人の想いが尊重される制度ができることを望みます。
ぜひ上記の本は読んでみてください。